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zoom RSS 『愛の経営講演会』その2 〜2014年7月23日〜

<<   作成日時 : 2014/10/15 03:27   >>

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  【愛の経営の大原則】

★ 投げかけたものが返ってくる
★ 自分に起こることは100%自己責任
★ 起きたことの受け取り方は自由





     『愛の経営講演会』 

 〜2014年7月23日 TOKOホテル〜

          鰍ユれし〜ど様主催




(、、、続き)

■なぜ「戦う経営」をしたか。


2 代目だったから、プレッシャーが掛かっていたんですね。父が非常に厳しいスパルタ的な教育を

する人だったので、子供のころはほぼ毎日げんこつをくらいながら生活をしていました。父は、物

心がついたころには父親がいなかったので、父親に育てられたことがなかった人。僕が生まれて長

男ができた時にどう対応したらいいか分からなかったらしくて、非常に厳しく当たっていたらしい

です。

例えば、寒い時期の食事時に鼻水をすすると、すかさずげんこつが飛んできました。箸を持ちなが

らげんこつがくるんです。スゴク痛いんです。時々箸が折れることもあってね。「鼻をずるっとい

うのは行儀悪い、なんで食事の前に鼻をかんでこないんだ」と怒られるのです。何も言い返しませ

んでした。

時間も厳しかった。「20 時以降は大人の時間」ということで小学校のときに流行っていた「20 時

だよ全員集合」を見られず、学校で話題についていけなかった。リビングの廊下の方からのぞいて

見ていたのですが、気配でバレるとげんこつをくらう。小学校のとき話が合わなくて孤独でした。

年の離れた妹、弟が僕の年くらいになった時は、会社も軌道にのっていたので父も丸くなっていま

した。だから怒るところはほとんどみたことがない。彼等が父親の悪口やけなすことを言っている

と、僕は冷や冷やしてしまうのですが、彼等は怒られない。理不尽だなと思うわけですよ。父から

刷り込まれているから手は出ないけれど、口がでるわけです。それが見つかるとなぜか僕が怒られ

てね。大人になったらこういう大人にはならないと決意しました。それほど厳しい父でしたが、今

思うと有り難い厳しさだったなと思うこともあります。

小学校のとき、学校行くとボンボンと言われたんです。商売していたからね。ですが仕事の方にお

金を投入していたときだったので、食卓も結構質素だったんですね。友達の方がいいものを食べて

いたんです。父が食べているものと父以外が食べているものには差がついていました。いつか同じ

ものを食べたいと思っていましたが。一般家庭の人には理解されなかった様です。

普通に高校行きたいと思っていました。まさか高校に行けないと思わないから高校受験をしました。

中学生の時にフォークギターをやっていて、さだまさしが好きでファンだったので東京の渋谷に見

に行ったんですよ。そうすると建物は千葉と違ってものすごく綺麗で、エレベーターもついていた。

一応受験したら、受かっちゃったんですね。受験料は母親が出してくれたんだけど、さすがに入学

金・授業料は父が支払うことになるので、父に頼みにいったんですね。そうすると「折り箱屋に学

歴はいらない」と言われてしまった。確かにそうなんです。学歴で商売している訳ではない。こう

言われたら、言い返してもだめなので「もういいです」と言って、練馬区の新聞社が奨学金制度を

やっていて自分でそれに申し込みました。でも未成年なので親に確認の電話があって、父親に呼び

出されたんです。「何とかという新聞社から電話がきたけどお前、申し込んだのか?」と。「はい。

申し込みました」「そんなに行きたいのか?」と言われて「はい」と言ったら「出してやる」と言

われたんですね。「そのかわり年 6%で返せ」と。凄いよね。そう言われて「分かりました」と言

いましたが、「絶対返すものか」と思いました。実は、3 年後も同じようなことが起きました。大

学の時もそうでした(笑)こういう経験をしている人はいないと思うので、後で振り返ったらそう

いう帝王学もあるのかな、と思っています。いい経験でした。

父は孤独な人でした。僕だけでなく会社の人にも厳しかったので、孤独。超ワンマンで厳しい人で

した。当時、母親の弟の叔父が専務をやってくれていて、叔父は現場での人望があったので厳しい

父とは上手くバランスがとれていたのです。ですが、大学卒業してよその会社で飯を食っている時

に父との関係がうまくいかなくなって、叔父さんが辞めることになりました。「お前、帰って来い」

ということになったんですね。ちゃんとお話をして入社させて頂いているので、叔父さんが辞める

から退職します、とは言えないから、キリがいい 3 月 31 日まで働いて 4 月 1 日から父の会社で

働くと言うことになったんです。叔父さんは 10 月には退職が決まっていましたね。その叔父さん

が営業会議など全部仕切っていました。

叔父さんが辞めてしまったので、組織が一旦崩れて崩壊した状態でした。父は叔父さんが辞めて僕

が入るまでの間に束ねるかといったら、放置したんですね。僕が行った時は、無法地帯でした。父

からするとどうせ僕がやるんだから、と手をつけていなかったんですね。僕が入ったときはすごい

ことになっていて。僕は下から数えて 2 番目に若かったし、実質折り箱の経験はなかった。何と

か上手くスムーズに入れればいいと父は無理矢理「社長室」をつくって、肩書きをつくってくれた

んです。うまく馴染みながらやればいいじゃない、という感じで始めようとしていたんだけれど、

初日の朝礼で「社長室を作って室長で」と父が紹介したら、業務の部長が間髪入れず「どうせ専務

と呼ぶんですよね。だったら初日から専務でいきましょうよ。」といきなり言われて凄くプレッシ

ャーが掛かってきました。

組織も崩壊し、無法地帯になっていたので組織も会議も復活させて、やって行ったんですね。全然

わからないけれどやるしかないと思ってやって、随分喧嘩しました。怒鳴り合いも。全く言うこと

を聞いてもらえなくて、バカにされる。相手がガチャンと電話を切ってきたときは、カチンッ!と

思って、もう一回電話をかけ直して「今からいくからそこを動くな!」なんて言ったこともありま

したけれど、行ったときにはもう居ませんでしたね(笑)

工場に行っても言うことを聞いてもられなかったので、空の箱を蹴っ飛ばしていました。商品が入

った箱を蹴飛ばすとさすがに傷つくのでそこらへんは冷静でしたが。本社の朝礼では机を叩きなが

ら力説したり、ひどい時は机の引き出しを蹴っ飛ばしたことがあった。これは流石にやりすぎだな、

と思って、今でもその机は戒めのために凹んだまま置いてあります。

当時、業務の机と営業の机の 2 つを持っていました。僕が入ってから何年かしたら業務部長が辞

めて行ったんですね。営業の方にいるときに、業務のことが考えられなくて。スイッチが必要だな、

と思って業務と営業の 2 つの机を持ったんです。でも業務と営業で、言っていることが真逆なん

です(笑)

最初の 5 年は入社した時より売上 1.5 倍まで伸ばしました。誰よりも早く会社に行き遅くまで働

いていました。納期に間に合わせるために工場に入ったり、夜中に作業したりしていました。責任

感の強さがあったのでとにかく誰よりも働いていました。

父からは怒られながらやってましたね。あるとき父に言われたことがありました。「お前が例えば

キャッチャーだとすると、150km/h のボールをピッチャーが投げるとするじゃん。普通ボールを

待つじゃん。でもお前は取りに行っちゃうんだよ。だから 150km/h のボールが 200km/h にも

なる。ケガするし、取れない。だから引いて取れ。」とね。言っていることは分かるんだけど、納

得できないんですよね。だから言うこと聞かなかった。社内でも戦っていたんです。父は引いて受

け止めろということを言いたかったのだろうと思うのですが。

売上を伸ばすために今までうちの会社がやったことのない仕事まで受けていました。某サンクスで

神田俊郎弁当シリーズを作ったこともありました。

山一証券がおかしくなっていったときに、世の中の景気が悪くなると同時にうちも悪くなりました。

ガンガン締め上げていたので業績は伸びていたのですが長い目でみれば続かない伸ばし方だった

んですね。

奥さんに「辞めたら?」と言われるくらい夜な夜なうなされていた社員もいたようです。吊るし上

げられるのを夢で見るくらいに。当時ホンダのオデッセイに乗っていたのですが、同じ車種が通る

とドキッとして隠れる社員が居たんです。番号が違ってほっとする、という状態だったらしいです

がそんな怖い存在でした。

景気が悪くなっても無理して引っ張っていたので悪くなると歯止めがきかなくなっていました。人

もいなくなるし同じ様なことをやっても上手くいかなくなる。売上は下がる一方で色んなことをや

ったけれど下げ止まらなくてどうしようもなくなって。これ以上やったらつぶれるんじゃないかと

思いました。なぜそこまで頑張ってこられたかというと、2 代目のプレッシャーという不安、恐れ

からくる頑張りだったんですね。それがそのまま経営方針に反映されて恐怖的になっていたんです

ね。長期スパンで考えられないから短期の中でなんとかしようとする。だから付け焼刃になって歯

止めがきかなくなった。本当に頑張ったけれど、自分の中でやることがなくなって、どうしたらい

いかわからなくなったんです。

2 代目だから「つぶす」選択肢はない。だから余計プレッシャーになっていたところもあります。

「つぶれる」選択肢はない。だから、最後にとった行動というのは、幹部・社員を本社に呼んで、

初めて腹を割って本音を語ったんです。「いかに自分が未熟で、何とかなると思っていたか。でも

未熟で実力はないんだ。どうかみなさん助けてください。」自己開示した瞬間でした。良く分から

ないのですがその頃、下げ止まりました。急に回復はしませんでしたが、そこから売上は横ばいに

なった。自分の中では孤独感が強かったけれど、「皆さん助けてください」と自己開示してから凄

く楽になった。今まで「自分が、自分が」と言っていたのが、だんだん任せるようになっていった

んですね。最初は口出しをしていました。自分がやる方が早いと思っていたしね。けれど、1̶2

年経つと口出しをしなくなる。2 年くらい経つ自分と同じくらいの仕事をできるようになっていて

3 年 4 年となるとみんなすごいな、と思うようになって実力は変わって行くんですね。私が仕事を

していない、ということもありますが。




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